信貴山縁起

信貴山縁起

日本の国宝に指定されている『信貴山縁起』は、平安時代、延喜(えんぎ)年間に信貴山で毘沙門天(びしゃもんてん)を祀り、不思議な法力で寺を中興した命蓮(みょうれん)上人(しょうにん)の事績を物語風に描いた絵巻物です。『源氏物語絵巻』、『鳥獣人物戯画』、『伴大納言絵詞』と並ぶ四大絵巻物の1つと称されます。自然風景の描写だけでなく、すべてに写実的に描かれ、建築史・風俗史の研究資料としての価値も高く評価されています。「延喜加持ノ巻」と「尼公ノ巻」には、絵巻の途中に二段の詞書(ことばがき)があり、描かれた内容を理解することが出来ます。

構成・内容

信貴山縁起は現在「山崎長者の巻(飛倉の巻)」「延喜加持の巻」「尼公の巻」の3巻から構成されています。信貴山縁起の詞書は、鎌倉時代初期成立の物語集『宇治拾遺物語』の第8巻、および平安末期~鎌倉初期成立の物語集『古本説話集』などに収録されている「信濃国聖事(しなののくにのひじりのこと)」の内容とほぼ一致しています。また平安時代の歴史書『扶桑略記』には、「延喜加持の巻」に該当する部分が記述されています。絵巻物は通常まず詞書があってそのあとにその内容に関する絵が続くという形式ですが、現存する信貴山縁起の第1巻冒頭は絵から始まっていて、本来あったはずの詞書が長く伝わる間に欠落したものと思われます。その内容は『宇治拾遺物語』などによって補完されています。

概要

「飛倉ノ巻」は、詞書を欠くが、『宇治拾遺物語』に同じ内容の記載があり、詞書の内容を確認することが出来ます。平安時代後期の12世紀頃とされ、『伴大納言絵詞』や『源氏物語絵巻』と同様に、後白河法皇が関与した、という説もあります。また、『伴大納言絵詞』と比べ信貴山縁起絵巻の方が、牧歌的で素朴な初発性と自然らしさがあり、時間の経過や動きの表現において多様で実験的なことから、信貴山縁起絵巻の方が先に成立したという意見もあるそうです。信貴山の中興である命蓮を主人公とした霊験譚です。延喜加持の巻で、醍醐天皇の病気を命蓮の加持祈祷の法力で治したという話が語られますが、ほぼ一致する説話が『古本説話集』や『宇治拾遺物語』、『今昔物語』にも収められています。また、『扶桑略記』にも同様の記事があります。鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の執筆ともいわれていますが、作者は分かっていません。平安後期(12世紀後半)に描かれたと考えられています。

各巻

「飛倉(とびくら)ノ巻」(山崎長者の巻)「延喜加持(えんぎかじ)ノ巻」「尼公(あまぎみ)ノ巻」の三巻からなり、日本の絵巻物における最高傑作で、日本上代の世俗画の到達点といわれる。通常の寺社縁起のごとく、開山の縁起を記したものではなく、平安時代中期に信貴山で修行して当山の中興の祖とされる命蓮に関する説話を描いています。山崎長者の巻、延喜加持の巻、尼公の巻の3巻からなる絵巻で、作者は不明ながら、人物の表情や躍動感を軽妙な筆致で描いた絵巻の一大傑作であり、『鳥獣人物戯画』とともに、日本の漫画文化のルーツとされます。

絵巻物についてもっと知りたい方必見

『飛倉ノ巻』

この絵巻物は詞書がありませんが、『宇治拾遺物語』『古本説話集』の「信濃国聖事」に同内容の説話があり、それによって物語を表します。瓦葺き、校倉造りの立派な倉や当時の長者クラス(油商人)の生活実体が丁寧に描き込まれていて、宗教説話を越えた価値がある絵巻物です。命蓮が神通力を行使して、山崎の長者のもとに托鉢に使用する鉢を飛ばし、その鉢に校倉造りの倉が乗って、倉ごと信貴山にいる命蓮の所まで飛んできたという奇跡譚でもあります。空を飛んでいく倉、驚いて見上げる人々などが絵巻特有の横長の画面を駆使して描かれています。

絵巻物内容

信濃の国より奈良に来て東大寺で授戒した法師(命蓮)が、帰郷を思いとどまり大仏の前であちこち見ていると坤(未申(ひつじさる):南西)の方向にかすかに信貴山が見えた。そこで修行する内に小さな厨子に入った毘沙門天を得、ささやかなお堂を建てて一心に修行を行った。 山の麓に長者が居り、その元に命蓮上人が托鉢(たくはつ)のために飛ばした鉢が飛来するが、長者は度重なる托鉢を嫌って瓦葺きの米倉に鉢を閉じこめてしまう。絵巻はこの場面から始まっており、倉から鉢が飛び出し、蔵を乗せて信貴山へ飛んで帰ってしまう。長者は馬に乗り、あわてて従者とともに後を追い、信貴山に登って命蓮に倉を返すように懇願する。命蓮は倉は返さないが、蔵の中にある米俵は返すと約束し、長者の従者に俵を一つ鉢に乗せるように指示する。すると、俵を乗せた鉢が米俵を従えて飛行し、長者宅に帰り着き、下女達が驚き喜ぶ様子で締めくくられる。

『延喜加持ノ巻』

ここでも、命蓮の法力の強さと共に、宮中の様子が克明に記され、資料的な価値も高い絵巻物です。

絵巻物内容

時の帝、醍醐(だいご)天皇が病となり、高僧の祈祷(きとう)を受けるが、改善せず、信貴山で法力を駆使する命蓮に白羽の矢が当たる。絵巻は、信貴山に向かう勅使一行の姿で始まり、入れ違いに宮中に入る高僧と、これを噂の種にする庶民の姿がある。勅使は京都より遙々(はるばる)信貴山に赴き、命蓮に帝の病気平癒を依頼する。命蓮は、自分は京都に行かないが、ここで祈祷すると答え、勅使は合点がいかないながらも京都に戻って報告する。そして、三日ばかりして信山より都へ剣鎧護法(けんがいごほう)が飛行する。たくさんの剣を鎧にした童子が、輪宝を廻しつつ天を懸け、宮中で帝の枕元に立つと、帝の病気は全快する。 帝はたいそう喜ばれ、僧正の位や荘園を授けようとお礼の勅使を使わすが、命蓮はこれを受けず、これが法師の言っていた「剣の護法」であった。それから、帝の病はすっかり癒えて、気分もさわやかになった。帝は喜んで、信貴山へ使いを走らせた。使者は命蓮に面会し、「感謝のために僧都、僧正の位を与え、荘園を寄進したい」との帝の意向を伝えるが、命蓮は「僧都、僧正の位などは拙僧には無用である。また、荘園などを得ると、管理人を置かねばならず、仏罰にあたりかねない」と言って、命蓮はこれを受けず、その欲のなさが強調されている。

日本の歴史好きな貴方へ

『尼公ノ巻』

この絵巻物に描かれた東大寺大仏殿は、治承4年(1180)に平重衡(しげひら)の南都焼き討ちの際に焼け落ちる以前の建立当初の姿を描いた唯一の資料であり、道中の商家、農家、職人の家と庶民の風俗など、当時の庶民の生活が伺え、民俗的資料としての価値も高い絵巻物です。

絵巻物内容

命蓮の生国である信濃国から姉の尼公が、はるばる信貴山まで命蓮を訪ねてやって来る。東大寺の大仏前で祈りかつまどろむ尼公のさまを描いた部分が、異時同図法を用いた圧巻として知られる。20年も前に、大和国へ得度するために旅立った弟の消息を訪ねようと、従者を連れて姉の尼公が信濃の国を後にする。道中、街道沿いの民家で命蓮の消息を聞く尼公の姿があり、応対する人々の暖かい様子が描かれている。そして鹿の群が描かれ、奈良に入った様子が暗示される。東大寺大仏の前でぬかずく尼公の姿があり、命蓮の消息をたずねて祈るうちに、仏前でまどろみ、夢枕で大仏に西の方、紫雲たなびく山に命蓮の存在を暗示され、西を目指して出立する。ここでは、大仏の前で複数の尼公が描かれ、「異時同図法」により時間の変化を表現している。尼公は信貴山に至り、無事命蓮に会うことが出来、土産のあたたかな「たい(祇=僧衣)」を渡し、再開を喜び合う。尼公は信濃に帰らず、命蓮と共に信貴山で信仰生活を送ったのである。命蓮はこの「たい(祇=僧衣)」をずっと着続けたためすっかり破れてしまう。人々はこの切れ端をお守りとし、あの飛倉も朽ちやぶれてしまうが、その材の破片も持ち帰ってお守りにしたのである。巻末には荒れ果てた倉の屋根が描かれ、命蓮の遷化を暗示している。